「不安」感で困っている、なんだか「うつ」っぽい、そんなあなたに贈る、対処と解消のとっても簡単な方法

・「不安」や「うつ」はおかしななことじゃない、対処の第一歩はあなたの見方を変えることです
あなたは、いつもなんとなく不安で、落ち着かないのでしょうか。
それともなんとなくうつっぽく、元気が出ない毎日なのでしょうか。

もしそうだったとしても、「どうして自分はこんなに不安なんだろう」とか「なんでこんなに元気がないんだろう」とか、考える必要はないんです。

その代わりに、こんなふうに考えてみたら、どうでしょうか。

「世の中には思うとおりにいかないことなんていっぱいあるし、明日何があるかなんて分かるわけもない。不安を感じたり、うつっぽくなったとしても、なんにもおかしなことじゃない」

「不安」や「うつ」を抱えていると、今の状態をなんとかしなくちゃ、と思うのも当たり前ですが、「なんとかしよう」と思っても、意志の力ではなかなかうまくいきません。

ですから、こんなふうに「不安」や「うつ」に対するあなたの考えを変えることが、そうした気分の問題に対処するための第一歩になるんです。

・「不安」や「うつ」は、体全体で感じてやれば、流れさって消えていきます

「不安」や「うつ」がやってきても、それをなんとか振り払おうとは思わないで、まずは、それが

「別におかしくもなんともない、自然なことなんだ」

ということを思い出してください。

そして、「不安」や「うつ」の気持ちを「いやだなぁ」と思う代わりに、体から力を抜いて、全身でそれを味わってやればいいのです。

「いやな気持ちを味わうだなんて!」とあなたは思うかもしれません。

でも、そうしたマイナスの感情を否定しようとすると、あなたの中で生まれた感情のエネルギーは、行き場を失って心の奥底に溜まっていくことになります。

実はそれこそが「不安」や「うつ」を引き起こす原因なのです。

あなたが人生で経験した悲しいことや苦しいこと、そうした感情が十分に表現されないまま、あなたの心の深いところにたくさん溜まっていて、それがあなたに「不安」や「うつ」を感じさせているのです。

ですから、はじめは不快に感じるかもしれませんが、「不安」や「うつ」をしっかりと体全体で表現し、それをきちんと受け止めてあげてください。

子どもの頃、わんわん泣いて、泣き終えたら気持ちはすっきりしてた、っていうような経験はありませんか。

それと同じことで、どんな感情でもきちんと表現してやりさえすれば、いずれ洗い流されて、消えていくことになるのです。

・安心してできる環境を用意してから、十分感情を味わいましょう

「不安」や「うつ」がやってきたら、まずは目を閉じて深呼吸をしながら、「これは自然なことなんだ」と心の中で唱えてください。

そして出先や他の人のいる場所だったら、場所を変え、一人になれるところや落ち着けるところにいくのがいいでしょう。出先などではトイレの個室に行くのもいいかもしれません。

自分の部屋にいるのなら、寝そべるなりなんなり好きな姿勢で、とにかくリラックス出きればいいのですが、おすすめは、首のあたりから下腹まで届くくらいの大きさの枕を抱いて、うつ伏せになる姿勢です。

人間は、お腹の側に暖かい接触を感じることで、安心してリラックスするような神経の仕組みを持っています。

本当はあなたのことをきちんと受け止めてくれる誰かに抱いてもらうのが一番いいのですが、なかなかそうもいかないでしょう。

誰か信頼できる人に手を握ってもらうことができたらそれもいいですし、猫や犬などと触れ合うことでも、大きな安心感が得られます。

そうした「スキンシップ」が得られた状態で、きちんと自分のマイナス感情を体で感じ、味わってやることができれば、「不安」や「うつ」のマイナス感情も、徐々に洗い流されていきます。

出先などで、十分な環境が作れない場合でも、左の手のひらを胸に当て、右の手のひらで下腹をおおってやることで、安心の神経を活性化することができます。

公園や駅のベンチででも、喫茶店ででも、座って目を閉じ、胸とお腹に手を当てながらあなたの体の中で生まれた気持ちを味わってあげてください。

はじめのうちは、なかなか慣れないかもしれませんが、慣れてしまえばきれいにマイナス感情を流してしまえるようになるはずです。

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・「不安」も「うつ」もほんとは友だち、あなたが疲れてるのを知らせてくれてるんです

「不安」も「うつ」に限らず、「悲しみ」や「おそれ」などのマイナス感情は、「ただやっかい」というだけのものではありません。

それは、あなたが「疲れていること」を知らせてくれている、役に立つ友だちのような存在なのです。

マイナス感情が浮かんできたときに「いやだな」と思う代わりに、

「そうか、自分は疲れてるのか、疲れてるのを教えてくれてるんだな、ありがたいことだ」

と思ってみてください。

それだけでもいくらかは気分は楽になるはずです。

そして、自分をいたわり、休息の時間を取ってあげてください。

そのとき、
– 「どうしてこんなマイナス感情が浮かんでくるんだろう」とは考えず、
– 「疲れてるときには、マイナス感情も浮かんでくるさ」と考えて、
安心できる環境を作り、「マイナス感情」を味わう時間を取ってやるのです。

これが習慣になり、その日その日のマイナス感情をきれいに流せるようになれば、疲れは取れて、体も楽になり、日々の暮らしを楽しむための元気が回復することになります。

・マイナスの感情がやってきたら、「疲れ」のサインとして受け止めること、

・心が疲れたときは、体を休め、そのときの気持ちを全身できちんと味わってやること、

この二つのことを心がけるだけで、あなたの心から「不安」も「うつ」も嘘のように消えてなくなっていくはずです。

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[ ダボラ・カダブラ ]

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自ら死を選ぶ前に – あなたを愛してくれた人がいるはずです

あなたが自ら死を選ぶことを考えているのならば、それを実行に移す前に、一つだけ考えてほしいことがあります。

それは、あなたを愛してくれた人のことです。

あなたは今、

「苦しくてしかたがない、もう死んでしまいたい」

と思っているのでしょう。

けれども、あなたが今まで生きてきからには、あなたには誰かに愛された経験があるはずです。

あなたは、家族からもひどい仕打ちを受ける中で、なんとか今まで生き延びてきたのかもしれません。

あるいは一見あなたを思っているように見える母親のエゴにがんじがらめにされた人生だったのかもしれません。

そうだったとしても、いえ、そうだったとすればなおさら、あなたの命を、どこかで誰かが、支えてくれていたに違いありません。

  *  *  *

それは近所のおばさん、おじさんだったかもしれません。

いつもは会えない、おばあちゃんや、おじいちゃんだったかもしれません。

ひょっとすると人間ではなく、飼っていた猫や犬や小鳥、あるいは学校で買われていたウサギだったかもしれません。

  *  *  *

あなたにほんの少しの気遣いをしてくれた人、

あなたを守ってくれた人、

あなたと一緒にいて、あなたの心に安らぎをもたらしてくれた存在、

あなたに愛を分けてくれたそうした人や存在があったからこそ、あなたは今まで生きてこれたのです。

あなたを愛してくれたひとたちのことを、よく思い出してください。

あなたが何ができるか、とか、どんな人間か、ということとは関係なく、ただありのままのあなたを愛してもらったときの、自分の中に生まれた温かい気持ちを、いま思い出すことができますか?

ひょっとしたら、今はしんどすぎて、その気持ちを思い出すことはできないかもしれません。

けれども、心配する必要はありません。

今は、自分にも愛を分けてくれる存在があったことを思い出し、

「ただ生きているだけでいいんだ」

ということを、心の隅にとどめることができれば大丈夫です。

本当に死にたくなったときには、いつでも死を選ぶ権利があなたにはあります。

けれども、今は一旦その考えは横において、自分を愛してくれた人たちのことを考えてみてください。

自分の中の「生きたい」という思いに耳を傾けてください。

今のしんどさを乗り越えることができれば、自分の中の「暖かい気持ち」を感じ取れる日がきっとやってきます。

あなたに与えられた命が、幸せにまっとうできるように、心からお祈りします。

  *  *  *

一人で悩んで苦しいときは、人に相談することも役に立ちます。
勇気を出して電話をかけてみてください。
話すだけで、ずいぶん楽になるものです。

[いのちの電話]

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ダボラ・カダブラ

言葉の意味って何なんでしょうね。

意思の疎通とかいいますけど、ほんとに通じあってるんですかね。

「あー、これは何かが、確かに共有されてるなー」とか、思う瞬間だって、ないわけじゃないんですが、たいていの場合、一人が好き勝手なことを言って、別の人が好き勝手なことを受け止める、そんなことだったりするんじゃないですか。

もちろん言葉なんてものは、ただの道具にすぎないんですから、そいつを上手に使って、日々の暮らしに役立てればいいだけなんですがね。

それでぼくは思い出したんですよ、昔、言葉なんて使わないほうがいいんじゃないかって、思ったことを。

ゴータマさんの「ダンマパダ」を読んだりしましてね、言葉なんて使わなけりゃ、すっきりするなあって。

そうはいっても、言葉を使わずになんて、なかなか生きられるものじゃありません。

たとえ一人で仙人のような暮らしをしたからって、自分の頭の中で蠢いている無量大数の言葉どもとはおさらばできませんもんね。

だからぼくは、あいもかわらず、こうしてダボラ・カダブラと呪文を紡ぎ続けるんですよ。

貝が貝殻を紡ぐように、木が年輪を紡ぐように、人間は言葉を紡げばいいんじゃないかと、思いましてね。

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自由に生きる者たちへ

ぼくらは自由に生きてきた

この世に生まれ落ちることも、ぼくらが選んだこと。
いやならば、この世の明かりを見る前に、息を止めてしまえばよかったのだ。

そうしてぼくらは、一瞬一瞬、生きることを選んできた。
誰に言われたからでもなく、自分で自由に、選びとって生きてきたんだ。
一瞬一瞬、生きることを選び、どう生きるかを選び、幸せを求めて、生きてきたんだ。

ところが不思議なもので、ぼくらはいつの間にか自分の自由を忘れ、どうにも不自由な人生を送っている自分に、ある日、気がつく。

こどもの頃の輝きに満ちた、自由な世界はどこに行ってしまったんだろう。
あの永遠に続くかに思われた、限りない力を秘めた時間は、いったいどこへ消えてしまったのだろう。

代わり映えのしない毎日、繰り返される日常、ささやかな楽しみはあっても、どうにも退屈な時間の流れの中で、ぼくらはつぶやくのだ。

あの輝きに満ちた瞬間はどこへ消えてしまったのか、と。

けれども、その瞬間は、実のところいつだって、ぼくらとともにあるのだ。
ぼくらの目が曇って見えなくなっているだけなのだ。

だってそうじゃないか。

ぼくらが繰り返しているこの毎日だって、すべてはぼくらが自由に決めてきたことの結果なんだ。

ぼくらは大人になるにしたがって、輝かしい時間よりは、安定した時間を選ぶようになってしまった。
つまりは、そういうことじゃないか。

ぼくら自身が、自分にとっての幸せの意味を作り変えてきたんだ。

だとすれば、ぼくらはやっぱり自由だ。

今だって自分の幸せの形を、自由に作り変えることができるんだ。

そのために必要なのはほんの少しの勇気だけなんだ。

勇気さえあれば、くすんだ安定など手放して、輝く今をつかむことができるんだ。

すべてを同時につかむことはできないのだから、前に進みたいのなら思い切って手放すだけだ。

その先には自己責任の、自由に生きて一人で死んでいく世界が待っている。

それでぼくは、きみたちみんなのために叫ばせてもらうのさ。

きみたちすべての命に祝福あれ。
自由に生きる者たちに永遠の命あれ、とね。

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自ら死を選ぶ自由について

自殺にせよ、安楽死にせよ、自ら死を選ぶことを誰かにすすめるつもりは毛頭ありません。

けれども、生きていることが苦痛以外の何ものでもなく、もはや死ぬことしか道がないと、もしあなたが思っているのなら、それを否定することなど、誰にもできないことです。

とはいえ、死なずにすむ道を見つけられれば、そのほうがよいでしょうし、この小文がそのための一助になることができたらと思います。

  *  *  *

あなたには、自ら死を選ぶ自由があります。

ということは、逆に生きることを選ぶ自由もあるのです。

死を選びたいと思っているからには、あなたの人生は苦痛に満ちているのでしょう。
たぶん、この世界の不条理を呪っているのかもしれません。

あなたは罠にかかってしまったのかもしれません。

けれども、この罠はたいていの場合、物理的にどうしようもない罠ではありません。

あなたは檻に閉じ込められて逃げられないのでしょうか。

監禁されて、虐待を受け続け、やがて死ぬ日まで、その苦しみを受け続ける運命なのでしょうか。

世の中には、そういった最悪の罠にはまってしまう人も確かにいます。

ナチスが作った収容所のような罠です。

そして、そうした最悪の罠にはまった人たちの中でも、生還する人もいれば、絶望して自ら死を選ぶ人もいます。

ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」は、自らの収容所体験をもとに、「生還」のためには何が必要だったかを書いたものです。こうした書物にも何らかのヒントがあるかもしれません。

  *  *  *

多くの場合、罠にかかって逃げ出せないというのは、物理的な罠ではなく、心理的な罠です。

あなたは、周囲の人間関係の中で、複雑な網の目に囚われ、身動きが取れなくなっているのでしょう。

そして、その罠から自由になるためには、死を選ぶしかないと思うところまで来てしまったのでしょう。

けれども、もし、あなたが本当は、そのがんじがらめの状況から逃げ出すことができるのだと気がつくことさえできれば、わざわざ死を選ぶ必要はなくなります。

あなたが家族の虐待を受けているのなら、家族から逃げ出せばいいのです。
逃げ出せないと思い込んでいる、あなたの考えこそが、あなたの牢獄なのです。

小さな子どもだったころには、逃げ出したくても逃げ出せなかったでしょうが、今のあなたには、逃げ出すことができるはずです。

自分の思い込みを打ち破ってください。

あなたには、その力があるはずです。

その先には、あなたの自由な人生が待っています。

  *  *  *

自由な人生というものは、決して気楽な人生ではありません。

人間関係でがんじがらめになっていたあなたは、思い切って行動を起こすことで、その重圧から一旦は逃げ出すことができるでしょう。

とはいえ、そこから十分に自由になるには、時間がかかります。

重圧をなつかしく思うようなことも起こりえます。

そして、完全な自由などというものは普通ありえませんし、自由と不自由の間で葛藤しながらも、その中に喜びを見つけていくことこそが、人生というものなのです。

あなたが選ぶ人生が、苦しみをともないながらも、さち多いものとなることを祈ります。

与えられた命の中で、あなたが、最高の輝きを見出すことができますように。

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四楽八楽

百と八つの悩みの種を、抱えて生きてはいませんか。
何かと気に病むことこそ多く、あれこれ悩んでいませんか。

どうせ一度の人生ならば、気楽に生きたいものじゃないですか。
重荷を背負っていくのはやめて、身軽に生きたいものじゃないですか。

そこでぼくは思ったのです。
人生本当に四苦八苦なのかと。

そいつもひとつの見識ですが、ひっくり返せば四楽八楽。

考えてしまうという悪いクセをやめられれば、今までの苦しみなどガラガラと音を立てて崩れ落ちて、見たこともない楽園が目の前に広がっているってことに、気がつくはずなんですよ、この世界の原理からして。

いや、それは実は言い過ぎでして、そうなるのは心がきちんと落ち着いている場合の話でして、心が乱れていたならば、楽園にいるのに気づくのではなく、地獄のど真ん中にいるということになってしまうのが、このうますぎる話の落とし穴でして。

だからぼくらは、道を急ぎ過ぎず、ゆっくりとしっかりと、そしてぼくの場合はだらだらと、遠くを目指して歩いてゆくのです。

気が遠くなるほど遠い道のりなのですが、辿り着く必要なんてないんです。
この道を一歩いっぽ歩き続ける、そのこと自体に意味があるんです。

道端の野の花を愛でながら、風の香りを嗅ぎながら、楽しく歩いていきたいじゃないですか。
悩みの種など数えて捨てて、ゆらゆら歩いてまいりましょう。

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