蝶々よく分かる仏教

今日は、仏教の基本中の基本を、現代的な論理に沿って述べてみます。

人間の行動の原理は、快・不快の原則ですよね。

心地よいものを求め、不快なものは避けます。
(おもしろいことに、フロイトさんと一緒ですね)

この二つに分けて見るとき、世界には「心地よいもの」と「不快なもの」があることになります。

お釈迦さまことシッダルタさんが説いたのは、
「心地よいものが得られないのは苦しいし、不快なものと出会うのも苦しい」
ということです。

そして、そうした苦しみから解放されるには
「欲望の罠から逃れることが必要だ」
(感官を制することが必要)
と述べたのです。

そして欲望の罠から逃れるためには、
「先入観を捨て、できる限り、あるがままに、自分と世界を見つめることが大切である」
(ヴィパッサナ瞑想の根本)
と。

そうして、あるがままに現実を見られるようになれば、
「快・不快のどちらをも、感情に左右されずに、落ち着いて受け入れることができるようになり、欲望の罠から抜け出て、心安らかに日々を送ることができるようになる」
(涅槃の境地)
というわけです。

今日のところは、このくらいにしておきます。

ではみなさん、また。

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[仏教漫談] 怒り心頭のあなたへ

アルボムッレ・スマナサーラさんというスリランカのお坊さんがいらっしゃいます。

日本ではたくさんの本が出版されており、NHK教育テレビにも出演されていますので、ご存知の方も多いかもしれません。

前の記事 [仏教の目的・涅槃] では、悟りの境地に至るには、三毒と呼ばれる、欲望・怒り・無知を克服する必要があると書きましたが、スマナサーラさんは、この3つの中でも、怒りを克服するのが一番大切であると、おっしゃっています。

「怒らない練習」という本もあり、これには怒らないためにはどうしたらよいのかの具体的な実践法が書かれています。
(イラストがしりあがり寿さんというのも、なんだかいいですね♪)

たしかに「怒り」というのはやっかいなもので、誰もが日常生活の中で、あれやこれやに、いらいらし、むっとし、外には表さなくても、怒り心頭に達したりしていることだろうと思います。

「いつもにこにこと穏和で、決して怒らない」などという人は、それこそ、「お釈迦さまのような人」ということになります。

ところでぼくは先日、ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想の十日間のコースに参加しました。
(ゴエンカさん方式についてはこちらをご覧ください。
[ヴィパッサナー随想 01 ピサヌロークの午後] )

ヴィパッサナーというのは、初期仏教における瞑想の方法で、日本の人なら坐禅だと思えば、当たらずと言えど遠からず、といったところです。

日本の坐禅では、雑念を消して無心になってただ座りなさい、というようなことを言うようですが、ゴエンカさん方式のヴィパッサナーでは、無心になって呼吸を見つめ、体で感じていることを見つめます。

呼吸を見つめ、体の様子を見つめるといっても、気がついたら何かほかのことを考えている、というのが人間というものですので、それは仕方ありません。

ああ、それちゃったなと、落ち着いて受け止めて、それに気がついたら、またまた呼吸や体に注意を向けて、淡々と見続けるといった感じです。

この単純な練習をひたすらやるだけなのですが、この経験が深まっていくと、自分が怒っていることに気がつきやすくなり、やがては怒らないですむようになる、というわけなのです。

また、呼吸や体を見るときに、すべてのものは変化しており、やってきては去っていくこと(無常)、心地良い感覚も不愉快な感覚も好き嫌いしないで落ち着いて見ること(慈悲喜捨の「捨」)を心がけます。

仏教で言う「無知」とは「無常であることを知らないこと」であり、「欲望」は「心地良いものを求め、不愉快なものを遠ざけたいと思うこと」を意味しますので、このヴィパッサナー瞑想をきちんとすれば、悟りに至るのは難しくても、日々のストレスが減り、気持よく毎日を過ごすことができるようになる、というわけなのです。

とはいえ、10日間泊まりこみで(実際には前後一日ずつあるので11泊12日)朝の4時半から夜の9時まで10時間も座るというのは、なかなか覚悟のいることですし、向き不向きもあります。

とりあえず、朝起きたときと、夜寝る前に、五分ほど呼吸を見つめてみるというのは、いかがでしょうか。

楽な姿勢を取り、自然に呼吸をして、息を吸っているときは、息を吸っている自分を見つめ、その感覚を味わい、息を吐くときも、息を吐いている自分を見つめ、その感覚を味わいます。

これだけのことでも、1週間、10日、1ヶ月と続けるうちに、ふとしたはずみに、怒っている最中にはっと我に返る、といった経験がおこってくるはずです。

毎日でなくても、思い出したときにやるだけでもかまいません。
自分なりのペースで、じっくり続けたとき、昔ほどいらいらしないで済んでいる自分に、ある日あなたは気がつくはずです。

なお、ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想について関心のある方は、アマゾンでこちらの本をどうぞ。

[ウィリアム・ハート「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法」(春秋社1999)]

というわけで、今回はこの辺で。
ではまた。

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[仏教漫談] 仏教の目的・涅槃

昔「おやじ、涅槃で待つ」という遺書を残して亡くなった俳優さんがいました。

この場合の「涅槃(ねはん)」は、「あの世」の意味ですね。

これはかなり俗っぽい使い方で、「涅槃」のもともとの意味は、「(煩悩の)炎の消えた状態」といったもので、「悟りの境地」のことです。

アメリカのロックバンドにニルヴァーナというのがありますが、このニルヴァーナというのが「涅槃」の意味なんですね。

アメリカの人はおもしろいバンド名を名乗るものです。

ボーカル、ギターのカート・コバーンはすでに鬼籍に入っていますが、このバンド名の因縁があったのか、なかったのか……。
(ちなみに、この因縁という言葉も、もともと仏教の言葉です)

そのニルヴァーナ(nirvana)という、インドの昔の言葉であるサンスクリットの単語に、中国の人が漢字を当てて「涅槃」としたわけです。

漢語としては、「滅、寂滅、寂静」などとも訳されます。
瀬戸内寂静さんの英語名は、ニルヴァーナ・セトウチとでもなりましょうか。

  *  *  *

「涅槃」とは、悟りの境地であり、煩悩(ぼんのう)の炎の消えた状態であると説明しましたが、悟りに至るのが仏教の目的であり、「涅槃」こそが仏教の目的ということができます。

では、煩悩の炎が消えるとはどういうことでしょうか。

仏教では、生きることはすべて「苦」である、とします。

この「苦」というのは、「苦しみ」というよりは「ストレス」ぐらいの意味ととらえたらよいと思います。

そして、その「ストレス」を生み出す原因が「煩悩=迷いの心」です。

「煩悩」としては、「三毒」と呼ばれる「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」があり、それぞれ、「欲望」、「怒り」、「無知」を意味します。

この3つの「ストレスの原因」を克服することで、涅槃に至り、悟りを開くが可能になり、これが仏教の目的ということになります。

以上、簡単ですが、仏教の目的である「涅槃」について説明してみました。

それでは、みなさん、また。

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[「消耗」についてならドン・ファンも散々に言ってるわけですがね]




坐禅とか瞑想とか、かたくるしく考えないで気楽にやってみましょう

ちょっと疲れたときに、伸びをしたり、深呼吸したりすると楽になりますよね。

坐禅とか瞑想とか、呼吸法もそうなんだけど、基本はそれと同じことなんです。

ぼくたちは、犬や猫よりも大きな脳を持ってしまったもので、少しの伸びくらいでは足りないような、いろいろなストレスを抱え込んでしまいがちってことでして。

だから、意識的に頭の中を空っぽにしてやると、これは本当に気持ちにも体にもいいことなんですよ。

朝起きたときとか、夜寝る前とか、一日に五分でもいいので、ぜひ試してみてください。

ただ、自分の呼吸を見つめるだけのことです。
息を吸って、息を吐いて、それを自覚的にするだけのことなんです。

すぐには分からないかもしれませんが、これを、一週間、ひと月、三ヶ月と続けていくうちに、必ず違いが出てきます。

アメリカでグーグルがマインドフルネスといってやってるのも、基本的にこれと一緒の話です。

単純な作業なので、こんなのが何かの役に立つの?って思うかもしれませんが、ほんとに役に立つんです。

こんなちっぽけなことで、人生、変わってしまうものなんです。

百聞は一見に如かず、行動をともなわない知識はゼロに等しいんです。

だまされたと思って、ぜひ今日からやってみてください。

一日五分の呼吸法で、あなたの人生は確実に変わりますので♬

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☆こちらもどうぞ。

[瞑想のお話: 不真面目でいい加減なぼくの迷想術 — ヴィパッサナー随想 #4]

[瞑想のお話: ピサヌロークの午後 — ヴィパッサナー随想 #1]





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幸せ魔神を呼び醒ませ

しんどい毎日を送っていますか。
投げやりに日々を過ごしていませんか。
自分にうんざりしちゃってますか。
こんな世のなか消えてなくなれと思っていませんか。

ネガティブな思考の渦が、あなたの頭の中を支配していたとしても、別に気にしなくっていいんです。
それを振り払おうとしたって、ぱっぱと振り払えるものじゃあないんです。
こんこんと湧いてくる、思考の渦の秘密をあなたが知るまでは、それにとらわれてしまうという悪い癖を捨てて、少しずつ頭の中身の掃除をしていけばいいだけのことなんです。

あなたの心の奥底には、誰にも傷つけることのできない、純粋無垢な魂が今も輝いています。
その魂は、暖かくて柔らかいけれど、とても傷つきやすいので、あなたはそれを自分でも忘れてしまうくらい心の奥深くの、絶対に誰にも触ることのできない場所にしまい込んでしまったのです。

魂は、とても傷つきやすいのですが、同時に恐ろしいまでの力を持っているのです。
そいつの本性は魔神だったりするのです。
世界を滅ぼしかねない力を持っているのです。

けれど、世界を滅ぼすのはいけないことでしょうか。
暴力的に滅ぼすのではないのです。
新しいものを生み出すためには、古いものが死ぬ必要があるのです。
幼かったあなたを守るために必要だった、エゴという名の強大な化け物が、いつか滅することになったとき、あなたの輝く魂は初めて、思う存分この世界を飛び回ることになるのです。

そのとき、あなたは、この自由が幸せだったのかと、気づくことになるでしょう。

何もしなくていい自由、何をしてもいい自由、あるがままで世界と一致している自由。

くつろいで、あくびをしながら、その自由を噛み締めるとき、あなたは世界を滅ぼす魔神でとして、世界を生み出し続けるのです。

[姉妹サイト、魂の次元@blogspotもよろしく]



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