[仏教漫談] 怒り心頭のあなたへ

アルボムッレ・スマナサーラさんというスリランカのお坊さんがいらっしゃいます。

日本ではたくさんの本が出版されており、NHK教育テレビにも出演されていますので、ご存知の方も多いかもしれません。

前の記事 [仏教の目的・涅槃] では、悟りの境地に至るには、三毒と呼ばれる、欲望・怒り・無知を克服する必要があると書きましたが、スマナサーラさんは、この3つの中でも、怒りを克服するのが一番大切であると、おっしゃっています。

「怒らない練習」という本もあり、これには怒らないためにはどうしたらよいのかの具体的な実践法が書かれています。
(イラストがしりあがり寿さんというのも、なんだかいいですね♪)

たしかに「怒り」というのはやっかいなもので、誰もが日常生活の中で、あれやこれやに、いらいらし、むっとし、外には表さなくても、怒り心頭に達したりしていることだろうと思います。

「いつもにこにこと穏和で、決して怒らない」などという人は、それこそ、「お釈迦さまのような人」ということになります。

ところでぼくは先日、ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想の十日間のコースに参加しました。
(ゴエンカさん方式についてはこちらをご覧ください。
[ヴィパッサナー随想 01 ピサヌロークの午後] )

ヴィパッサナーというのは、初期仏教における瞑想の方法で、日本の人なら坐禅だと思えば、当たらずと言えど遠からず、といったところです。

日本の坐禅では、雑念を消して無心になってただ座りなさい、というようなことを言うようですが、ゴエンカさん方式のヴィパッサナーでは、無心になって呼吸を見つめ、体で感じていることを見つめます。

呼吸を見つめ、体の様子を見つめるといっても、気がついたら何かほかのことを考えている、というのが人間というものですので、それは仕方ありません。

ああ、それちゃったなと、落ち着いて受け止めて、それに気がついたら、またまた呼吸や体に注意を向けて、淡々と見続けるといった感じです。

この単純な練習をひたすらやるだけなのですが、この経験が深まっていくと、自分が怒っていることに気がつきやすくなり、やがては怒らないですむようになる、というわけなのです。

また、呼吸や体を見るときに、すべてのものは変化しており、やってきては去っていくこと(無常)、心地良い感覚も不愉快な感覚も好き嫌いしないで落ち着いて見ること(慈悲喜捨の「捨」)を心がけます。

仏教で言う「無知」とは「無常であることを知らないこと」であり、「欲望」は「心地良いものを求め、不愉快なものを遠ざけたいと思うこと」を意味しますので、このヴィパッサナー瞑想をきちんとすれば、悟りに至るのは難しくても、日々のストレスが減り、気持よく毎日を過ごすことができるようになる、というわけなのです。

とはいえ、10日間泊まりこみで(実際には前後一日ずつあるので11泊12日)朝の4時半から夜の9時まで10時間も座るというのは、なかなか覚悟のいることですし、向き不向きもあります。

とりあえず、朝起きたときと、夜寝る前に、五分ほど呼吸を見つめてみるというのは、いかがでしょうか。

楽な姿勢を取り、自然に呼吸をして、息を吸っているときは、息を吸っている自分を見つめ、その感覚を味わい、息を吐くときも、息を吐いている自分を見つめ、その感覚を味わいます。

これだけのことでも、1週間、10日、1ヶ月と続けるうちに、ふとしたはずみに、怒っている最中にはっと我に返る、といった経験がおこってくるはずです。

毎日でなくても、思い出したときにやるだけでもかまいません。
自分なりのペースで、じっくり続けたとき、昔ほどいらいらしないで済んでいる自分に、ある日あなたは気がつくはずです。

なお、ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想について関心のある方は、アマゾンでこちらの本をどうぞ。

[ウィリアム・ハート「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法」(春秋社1999)]

というわけで、今回はこの辺で。
ではまた。

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[仏教漫談] 仏教の目的・涅槃

昔「おやじ、涅槃で待つ」という遺書を残して亡くなった俳優さんがいました。

この場合の「涅槃(ねはん)」は、「あの世」の意味ですね。

これはかなり俗っぽい使い方で、「涅槃」のもともとの意味は、「(煩悩の)炎の消えた状態」といったもので、「悟りの境地」のことです。

アメリカのロックバンドにニルヴァーナというのがありますが、このニルヴァーナというのが「涅槃」の意味なんですね。

アメリカの人はおもしろいバンド名を名乗るものです。

ボーカル、ギターのカート・コバーンはすでに鬼籍に入っていますが、このバンド名の因縁があったのか、なかったのか……。
(ちなみに、この因縁という言葉も、もともと仏教の言葉です)

そのニルヴァーナ(nirvana)という、インドの昔の言葉であるサンスクリットの単語に、中国の人が漢字を当てて「涅槃」としたわけです。

漢語としては、「滅、寂滅、寂静」などとも訳されます。
瀬戸内寂静さんの英語名は、ニルヴァーナ・セトウチとでもなりましょうか。

  *  *  *

「涅槃」とは、悟りの境地であり、煩悩(ぼんのう)の炎の消えた状態であると説明しましたが、悟りに至るのが仏教の目的であり、「涅槃」こそが仏教の目的ということができます。

では、煩悩の炎が消えるとはどういうことでしょうか。

仏教では、生きることはすべて「苦」である、とします。

この「苦」というのは、「苦しみ」というよりは「ストレス」ぐらいの意味ととらえたらよいと思います。

そして、その「ストレス」を生み出す原因が「煩悩=迷いの心」です。

「煩悩」としては、「三毒」と呼ばれる「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」があり、それぞれ、「欲望」、「怒り」、「無知」を意味します。

この3つの「ストレスの原因」を克服することで、涅槃に至り、悟りを開くが可能になり、これが仏教の目的ということになります。

以上、簡単ですが、仏教の目的である「涅槃」について説明してみました。

それでは、みなさん、また。

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