やあ、みなさん、こんにちわ。
毎日の「いい人ごっこ」、楽しくやってますか?
いや、みなさんが「本当にいい人」ならば、べつに問題はないんですよ。
問題なのは、ぼくみたいな、ほんとは「いい人」でもなんでもないのに、ついつい習い性で「いい人」をやっちゃってる人なんですからね。
あなたは、習い性で、自分でも気がつかないうちに「いい人ごっこ」にはまっちゃってたりしませんか。
もしそうなら、ぼくもあなたのお仲間です。
「いい人ごっこ」という大変なゲームに、自分でも知らないうちに、ずいぶんたくさんのエネルギーを使い込んできちゃってたんだなって、ようやく気がつきました。
しかもですよ。
自分がやりたくないことを、「いい人」ぶってやってるってのは分かりやすいじゃないですか。
よくある話です。
ところが、そういう場合だけじゃなくて、自分がやりたいつもりでやってるはずのことが、実はただ「いい人」ぶりたいだけの理由からやってるんだってことに気づいちゃったんですから、いや、参りましたね、こいつは。
* * *
ちょっと具体的に書きましょう。
ぼくはネットで人が困ってるのを見かけたりすると、つい、助けてあげたいな、とか思っちゃうんですよね。
(母親譲りの、ただのおせっかいだったりするんですけど)
さて。
困っている人がいて、それを助けたいと思う。
これ自体は何も悪いことじゃないですよね。
ところがです。
「自分がいい人だと思われたい」ためだけに、「人を助けたい」と思っちゃうような人ってのが、世の中にはいるわけです。
そういう人の場合、自分のすることが、本当に相手の「助け」になってるかどうかという一番大切なことが、ついついどこかに行っちゃってたりするわけでして。
そうすると、うまく相手の助けになった場合はいいんですけど、相手があんまり助けになってないな、と思った場合におかしなことが起こります。
「自分は助けてあげたのに、なんでお礼の言葉もないのか」とか、「自分は善意で助言したのに、分からないのは相手が悪い」とか、極端な場合は、「善意で助言している自分に、怒りで返してくるとはこいつはおかしい」とか、ネット上では、ほんとにいろんなことが起こるものです。
自分が「いい人」になりたいから「人助けをしたい」なんて、そんなおかしな話があるもんか、と思うかもしれませんけど、ボランティアとかチャリティとか、あるいは平和運動に差別反対、そして助言・ご意見・上から目線など、実はありとあらゆる人間関係の場面において、似たような「不純な動機」があふれているような気がするんです。
すべての人がそうだ、なんて、言いませんよ。
本当にいい人だって、確かにいます。
でも、多くの普通の人間として、ぼくたちは、自分の中の「不純な動機」にもちゃんと気づいたほうがいいんじゃないかなって思うんです。
だって、「不純な動機」で「いい人ごっこ」なんかしていても、おかしなところでエネルギーを浪費するばかりで、トータルで考えたら絶対いいことありませんから。
* * *
「いい人」に見られたいから、ついつい人からの頼みを断れない。そんなことで消耗するのもばかばかしいですから、きちんと自分の気持ちを伝えてみましょう。
そして、おせっかいな自分の、ヘンテコな癖に気がついて、自分勝手な「いい人ごっこ」はやめましょう。
今日はそんな話でした。
最後までご精読ありがとうございました。
* * *
それからついでに、こちらの本なんですけど。
内容的にはちょっとスピリチュアル系で、ぶっとんだところもあるんですが、「いい人」をやめてもいい理由も分かるし、「いい人」をやめるためのヒントも一杯詰まった本なので、おすすめします。
てなことで、みなさん、またそのうちお会いしましょう。
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☆こちらもよろしく。
[ 坐禅とか瞑想とか、かたくるしく考えないで気楽にやってみましょう ]
[ 幸せ魔神を呼び醒ませ ]
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