「消耗」についてならドン・ファンも散々に言ってるわけですがね

アメリカの文化人類畑出身のカルロス・カスタネダというカルトの大家が死んで、もう二十年近くが経とうとしています。

彼が描いたメキシコの呪術師ドン・ファンの世界は、学者の先生がたにはフィクションという烙印を押されていますが、その人気は今も衰えることがないようです。

シリーズ一作目の 「ドン・ファンの教え」は、言及されることは多いものの、修士論文用に書かれたものが、商業出版に回されたといういわくつきの代物で、はじめてカスタネダを読む方にはおすすめできません。

アメリカでは三冊目の「イクストランへの旅」が一番好まれているようですが、一冊の物語としての完成度という点では、四冊目の「力の話」が絶対のおすすめです。

このシリーズは、ぼくたちがいつも当たり前だと思って疑いもしない、この日常という名の世界が持つ、実は曖昧で不安定で、裏側を見てしまったら、もう戻ってくるのがばかばかしくなってしまうかもしれない、そんな不可思議な様相をかいま見させてくれます。

そして、日常というものとは別の種類の現実のあり方が、確かに存在するのだということに目を開かせてくれる類まれな本です。

これが、事実をありのままに書いたものかどうかは分かりません。

ですが、ぼくの知る限りでは、これに匹敵するようなフィクションなど、そうそうあるものではありません。

ですから、カスタネダという「いかさま師」が、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」とも比べたくなるような物語を書いていたのだとすれば、読書好きなぼくとしては、これに勝る喜びはない、といったところなのです。

  *  *  *

さて、ネット上であれこれ検索していると、なぜだが「消耗」とかいう言葉が目について、そのことについつい「うんざり」してしまったりする今日このごろなのですが、「消耗」のことを言うのなら、カスタネダ描くところのドン・ファンが、とっくに語り尽くしてくれてるよな、と思い至った次第です。

ぼくたち一人ひとりの人間に与えられているエネルギーというものは、残念ながら限られたものです。

それなのに、ぼくたちはそんな事情にはお構いなしに、自分のエゴを喜ばせるだけのために、その限られたエネルギーのほとんどすべてを浪費しているというのが、ドン・ファンの言っていることです。

ですから、もしあなたが、今の「何かが間違っている」生活を変えたいと本当に思っているのならば、そんなふうにエネルギーを無駄遣いしている場合ではないのです。

「消耗」している自分に気づいたら、とにかくその「消耗」をやめてみるのが先決です。

他人の「消耗」を、ああだ、こうだ、言ってる場合ではないのです。

とはいえ、これを書いているぼく自身、ある意味では人のことを、ああだ、こうだ言ってるのにすぎません。

けれども、自分がその段階を超えられるように、自分への覚え書きとして、今ぼくはこれを書いてみています。

人に与えられた命は、誰にも平等でたったの一回限りです。

長い短いの運命はあるかもしれませんが、それを生かすも殺すも、まさにあなたの決断次第なのです。

あなたが、与えられた人生を、そしてその命のエネルギーを、どうか十分に活かすことができるように、お祈りします。

ぼくも、がんばって生きようと思います。

あいもかわらず、だらだらと、のらりくらりとではあるのですけども(笑)。

  *  *  *

さて最後に、こちらの本を紹介します。

[ タデウス・ゴラス『なまけ者のさとり方』]

ぼくがこのところ、こちらに書いていることの、ネタ本的なものです。
もう四半世紀も前に出会った本ですが、今読み返すと、若い頃には分からなかった部分が心にしみてきて、ひと粒で何度でもおいしい名著です。

気が向いたらぜひ読んでみてください。

てなことで、みなさん、またそのうちお会いしましょう。

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☆こちらもよろしく。

[「いい人ごっこ」は、もうやめよう]

[人生を気楽に生きるためには、これだけ分かってれば十分]

[自由に生きるキミたちへ]

[ 坐禅とか瞑想とか、かたくるしく考えないで気楽にやってみましょう ]

[ 悟ってしまえば「悪」なんてなくなるんです ]

[ 幸せ魔神を呼び醒ませ ]

[ ダボラ・カダブラ ]




「いい人ごっこ」は、もうやめよう

やあ、みなさん、こんにちわ。

毎日の「いい人ごっこ」、楽しくやってますか?

いや、みなさんが「本当にいい人」ならば、べつに問題はないんですよ。

問題なのは、ぼくみたいな、ほんとは「いい人」でもなんでもないのに、ついつい習い性で「いい人」をやっちゃってる人なんですからね。

あなたは、習い性で、自分でも気がつかないうちに「いい人ごっこ」にはまっちゃってたりしませんか。
もしそうなら、ぼくもあなたのお仲間です。

「いい人ごっこ」という大変なゲームに、自分でも知らないうちに、ずいぶんたくさんのエネルギーを使い込んできちゃってたんだなって、ようやく気がつきました。

しかもですよ。

自分がやりたくないことを、「いい人」ぶってやってるってのは分かりやすいじゃないですか。

よくある話です。

ところが、そういう場合だけじゃなくて、自分がやりたいつもりでやってるはずのことが、実はただ「いい人」ぶりたいだけの理由からやってるんだってことに気づいちゃったんですから、いや、参りましたね、こいつは。

  *  *  *

ちょっと具体的に書きましょう。

ぼくはネットで人が困ってるのを見かけたりすると、つい、助けてあげたいな、とか思っちゃうんですよね。
(母親譲りの、ただのおせっかいだったりするんですけど)

さて。

困っている人がいて、それを助けたいと思う。

これ自体は何も悪いことじゃないですよね。

ところがです。

「自分がいい人だと思われたい」ためだけに、「人を助けたい」と思っちゃうような人ってのが、世の中にはいるわけです。

そういう人の場合、自分のすることが、本当に相手の「助け」になってるかどうかという一番大切なことが、ついついどこかに行っちゃってたりするわけでして。

そうすると、うまく相手の助けになった場合はいいんですけど、相手があんまり助けになってないな、と思った場合におかしなことが起こります。

「自分は助けてあげたのに、なんでお礼の言葉もないのか」とか、「自分は善意で助言したのに、分からないのは相手が悪い」とか、極端な場合は、「善意で助言している自分に、怒りで返してくるとはこいつはおかしい」とか、ネット上では、ほんとにいろんなことが起こるものです。

自分が「いい人」になりたいから「人助けをしたい」なんて、そんなおかしな話があるもんか、と思うかもしれませんけど、ボランティアとかチャリティとか、あるいは平和運動に差別反対、そして助言・ご意見・上から目線など、実はありとあらゆる人間関係の場面において、似たような「不純な動機」があふれているような気がするんです。

すべての人がそうだ、なんて、言いませんよ。

本当にいい人だって、確かにいます。

でも、多くの普通の人間として、ぼくたちは、自分の中の「不純な動機」にもちゃんと気づいたほうがいいんじゃないかなって思うんです。

だって、「不純な動機」で「いい人ごっこ」なんかしていても、おかしなところでエネルギーを浪費するばかりで、トータルで考えたら絶対いいことありませんから。

  *  *  *

「いい人」に見られたいから、ついつい人からの頼みを断れない。そんなことで消耗するのもばかばかしいですから、きちんと自分の気持ちを伝えてみましょう。

そして、おせっかいな自分の、ヘンテコな癖に気がついて、自分勝手な「いい人ごっこ」はやめましょう。

今日はそんな話でした。

最後までご精読ありがとうございました。

  *  *  *

それからついでに、こちらの本なんですけど。

[ タデウス・ゴラス『なまけ者のさとり方』]

内容的にはちょっとスピリチュアル系で、ぶっとんだところもあるんですが、「いい人」をやめてもいい理由も分かるし、「いい人」をやめるためのヒントも一杯詰まった本なので、おすすめします。

てなことで、みなさん、またそのうちお会いしましょう。

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☆こちらもよろしく。

[人生を気楽に生きるためには、これだけ分かってれば十分]

[自由に生きるキミたちへ]

[ 坐禅とか瞑想とか、かたくるしく考えないで気楽にやってみましょう ]

[ 悟ってしまえば「悪」なんてなくなるんです ]

[ 幸せ魔神を呼び醒ませ ]

[ ダボラ・カダブラ ]

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人生を気楽に生きるためには、これだけ分かってれば十分

ネット上に、ガンジス川の砂粒の数ほども煌めく、もったいぶった記事の書きようには、多くの方が心底うんざりとしてらっしゃるでしょうから、初めに結論を書いておきましょう。

あなたが人生を気楽に生きたいと、本当に思っているのでしたら、次のことだけ、よく憶えておいてください。

あなたは、完全に自由なんです。
あなたは、なんでも思った通りのことができます。
ただし、この世界の法則が許す限りの話ですが。

どこかにも似たようなことが書いてあったよと、思うかもしれません。
それも当たり前のことなんです。

人によって表現は違っても、この世の「真理」はただ一つですから、それに気づいた人は似たようなことを言うわけです。

かといって別に、自分が究極の「真理」を知っているんだとか言いたいわけではありません。

ここでは、今の時点でぼくに分かっている範囲のことを、自分なりの言葉で伝えてみようと思うまでです。

あなたは自分が「完全に自由」だと聞いて、どう思いましたか?

そんなことありえない?
それとも、「ほんとにそうかな」って?

あなたが信じようが信じまいが、あなたは「本当に完全に自由」なんです。

このことだけ憶えていれば、あなたは、いつかそれが「真実」であることに気づくことになるはずです。

そして、それが分かったとき、人生が実に気楽で楽しいものになっていることにあなたは気づくでしょう。

悲しみや苦しみがなくなるというわけにはいかないでしょうが、人生のそうした暗い側面にも意味があることが分かり、いたずらに嘆く必要がないことにも気がつくでしょう。

そんなふうになりたかったら、とにかく、このことだけ憶えておいてください。

あなたは完全に自由なんです。
思い通りに何でもできるんです。
ただし、この世界の法則に従っている限りは、ですよ。

今回はとりあえず、この辺にしておきましょう。
どうして、これだけ憶えておけば十分なのかは、また書きます。

なんだ、続きがあるのか、と思ったあなたには、ごめんなさい。

とはいえ、人生って、まあ、そんなもんですよね。

そして、続きなんて待ってられないよ、という方には、こちらの本をおすすめしておきます。

[ タデウス・ゴラス『なまけ者のさとり方』]

アメリカの人が書いた本なので、〈愛〉とか〈神〉とかいう言葉が「ちょっと気になる人もいるかも」なのですが、人生を気楽に生きるためのヒントが詰まった、手軽に読める実用的な本です。

てなことで、みなさん、またそのうちお会いしましょう。

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☆こちらもよろしくね。

[「消耗」についてならドン・ファンも散々に言ってるわけですがね]

[人生を気楽に生きるためには、これだけ分かってれば十分]

[自由に生きるキミたちへ]

[ 坐禅とか瞑想とか、かたくるしく考えないで気楽にやってみましょう ]

[ 悟ってしまえば「悪」なんてなくなるんです ]

[ 幸せ魔神を呼び醒ませ ]

[ ダボラ・カダブラ ]




坐禅とか瞑想とか、かたくるしく考えないで気楽にやってみましょう

ちょっと疲れたときに、伸びをしたり、深呼吸したりすると楽になりますよね。

坐禅とか瞑想とか、呼吸法もそうなんだけど、基本はそれと同じことなんです。

ぼくたちは、犬や猫よりも大きな脳を持ってしまったもので、少しの伸びくらいでは足りないような、いろいろなストレスを抱え込んでしまいがちってことでして。

だから、意識的に頭の中を空っぽにしてやると、これは本当に気持ちにも体にもいいことなんですよ。

朝起きたときとか、夜寝る前とか、一日に五分でもいいので、ぜひ試してみてください。

ただ、自分の呼吸を見つめるだけのことです。
息を吸って、息を吐いて、それを自覚的にするだけのことなんです。

すぐには分からないかもしれませんが、これを、一週間、ひと月、三ヶ月と続けていくうちに、必ず違いが出てきます。

アメリカでグーグルがマインドフルネスといってやってるのも、基本的にこれと一緒の話です。

単純な作業なので、こんなのが何かの役に立つの?って思うかもしれませんが、ほんとに役に立つんです。

こんなちっぽけなことで、人生、変わってしまうものなんです。

百聞は一見に如かず、行動をともなわない知識はゼロに等しいんです。

だまされたと思って、ぜひ今日からやってみてください。

一日五分の呼吸法で、あなたの人生は確実に変わりますので♬

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☆こちらもどうぞ。

[瞑想のお話: 不真面目でいい加減なぼくの迷想術 — ヴィパッサナー随想 #4]

[瞑想のお話: ピサヌロークの午後 — ヴィパッサナー随想 #1]





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