さあじぶんをだきしめよう

じぶんがどんなにくずとおもえても
なにもやるきがおきなくても
じんせいのいみなどわすれてひさしくても
ときにはじんせいのいみをおもいだせるにしても
ただなげやりにいまをいきているにしても
なにかいみあることをしているつもりでいるにしても
たにんをうらやみじぶんをひげするだけだとしても
もうしのうとついにおもいきってしまったとしても
ついにおもいきったはずなのにまだいきているにしても
ばかやろうきさまらがいきているのにおれがしねるかとおもうにしても
そしてそうしたすべてがまぼろしであるとあたまではわかっているにしても

ぼくはこうしてことばをひりだして
こころのけんこうをたもつというわけでしてね

たべたからにはくそをひるでしょうだれだって
いやむろんかすみだけたべることにすればそんなひつようもなくなりますけどね

なかなかむずかしいですよねじんせいというやつは
むずかしいからこそおもしろいですよねじんせいというやつは

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[ 幸せ魔神を呼び醒ませ ]

[ ダボラ・カダブラ ]

幸せ魔神を呼び醒ませ

しんどい毎日を送っていますか。
投げやりに日々を過ごしていませんか。
自分にうんざりしちゃってますか。
こんな世のなか消えてなくなれと思っていませんか。

ネガティブな思考の渦が、あなたの頭の中を支配していたとしても、別に気にしなくっていいんです。
それを振り払おうとしたって、ぱっぱと振り払えるものじゃあないんです。
こんこんと湧いてくる、思考の渦の秘密をあなたが知るまでは、それにとらわれてしまうという悪い癖を捨てて、少しずつ頭の中身の掃除をしていけばいいだけのことなんです。

あなたの心の奥底には、誰にも傷つけることのできない、純粋無垢な魂が今も輝いています。
その魂は、暖かくて柔らかいけれど、とても傷つきやすいので、あなたはそれを自分でも忘れてしまうくらい心の奥深くの、絶対に誰にも触ることのできない場所にしまい込んでしまったのです。

魂は、とても傷つきやすいのですが、同時に恐ろしいまでの力を持っているのです。
そいつの本性は魔神だったりするのです。
世界を滅ぼしかねない力を持っているのです。

けれど、世界を滅ぼすのはいけないことでしょうか。
暴力的に滅ぼすのではないのです。
新しいものを生み出すためには、古いものが死ぬ必要があるのです。
幼かったあなたを守るために必要だった、エゴという名の強大な化け物が、いつか滅することになったとき、あなたの輝く魂は初めて、思う存分この世界を飛び回ることになるのです。

そのとき、あなたは、この自由が幸せだったのかと、気づくことになるでしょう。

何もしなくていい自由、何をしてもいい自由、あるがままで世界と一致している自由。

くつろいで、あくびをしながら、その自由を噛み締めるとき、あなたは世界を滅ぼす魔神でとして、世界を生み出し続けるのです。

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ダボラ・カダブラ

言葉の意味って何なんでしょうね。

意思の疎通とかいいますけど、ほんとに通じあってるんですかね。

「あー、これは何かが、確かに共有されてるなー」とか、思う瞬間だって、ないわけじゃないんですが、たいていの場合、一人が好き勝手なことを言って、別の人が好き勝手なことを受け止める、そんなことだったりするんじゃないですか。

もちろん言葉なんてものは、ただの道具にすぎないんですから、そいつを上手に使って、日々の暮らしに役立てればいいだけなんですがね。

それでぼくは思い出したんですよ、昔、言葉なんて使わないほうがいいんじゃないかって、思ったことを。

ゴータマさんの「ダンマパダ」を読んだりしましてね、言葉なんて使わなけりゃ、すっきりするなあって。

そうはいっても、言葉を使わずになんて、なかなか生きられるものじゃありません。

たとえ一人で仙人のような暮らしをしたからって、自分の頭の中で蠢いている無量大数の言葉どもとはおさらばできませんもんね。

だからぼくは、あいもかわらず、こうしてダボラ・カダブラと呪文を紡ぎ続けるんですよ。

貝が貝殻を紡ぐように、木が年輪を紡ぐように、人間は言葉を紡げばいいんじゃないかと、思いましてね。

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自由に生きる者たちへ

ぼくらは自由に生きてきた

この世に生まれ落ちることも、ぼくらが選んだこと。
いやならば、この世の明かりを見る前に、息を止めてしまえばよかったのだ。

そうしてぼくらは、一瞬一瞬、生きることを選んできた。
誰に言われたからでもなく、自分で自由に、選びとって生きてきたんだ。
一瞬一瞬、生きることを選び、どう生きるかを選び、幸せを求めて、生きてきたんだ。

ところが不思議なもので、ぼくらはいつの間にか自分の自由を忘れ、どうにも不自由な人生を送っている自分に、ある日、気がつく。

こどもの頃の輝きに満ちた、自由な世界はどこに行ってしまったんだろう。
あの永遠に続くかに思われた、限りない力を秘めた時間は、いったいどこへ消えてしまったのだろう。

代わり映えのしない毎日、繰り返される日常、ささやかな楽しみはあっても、どうにも退屈な時間の流れの中で、ぼくらはつぶやくのだ。

あの輝きに満ちた瞬間はどこへ消えてしまったのか、と。

けれども、その瞬間は、実のところいつだって、ぼくらとともにあるのだ。
ぼくらの目が曇って見えなくなっているだけなのだ。

だってそうじゃないか。

ぼくらが繰り返しているこの毎日だって、すべてはぼくらが自由に決めてきたことの結果なんだ。

ぼくらは大人になるにしたがって、輝かしい時間よりは、安定した時間を選ぶようになってしまった。
つまりは、そういうことじゃないか。

ぼくら自身が、自分にとっての幸せの意味を作り変えてきたんだ。

だとすれば、ぼくらはやっぱり自由だ。

今だって自分の幸せの形を、自由に作り変えることができるんだ。

そのために必要なのはほんの少しの勇気だけなんだ。

勇気さえあれば、くすんだ安定など手放して、輝く今をつかむことができるんだ。

すべてを同時につかむことはできないのだから、前に進みたいのなら思い切って手放すだけだ。

その先には自己責任の、自由に生きて一人で死んでいく世界が待っている。

それでぼくは、きみたちみんなのために叫ばせてもらうのさ。

きみたちすべての命に祝福あれ。
自由に生きる者たちに永遠の命あれ、とね。

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