自ら死を選ぶ自由について

自殺にせよ、安楽死にせよ、自ら死を選ぶことを誰かにすすめるつもりは毛頭ありません。

けれども、生きていることが苦痛以外の何ものでもなく、もはや死ぬことしか道がないと、もしあなたが思っているのなら、それを否定することなど、誰にもできないことです。

とはいえ、死なずにすむ道を見つけられれば、そのほうがよいでしょうし、この小文がそのための一助になることができたらと思います。

  *  *  *

あなたには、自ら死を選ぶ自由があります。

ということは、逆に生きることを選ぶ自由もあるのです。

死を選びたいと思っているからには、あなたの人生は苦痛に満ちているのでしょう。
たぶん、この世界の不条理を呪っているのかもしれません。

あなたは罠にかかってしまったのかもしれません。

けれども、この罠はたいていの場合、物理的にどうしようもない罠ではありません。

あなたは檻に閉じ込められて逃げられないのでしょうか。

監禁されて、虐待を受け続け、やがて死ぬ日まで、その苦しみを受け続ける運命なのでしょうか。

世の中には、そういった最悪の罠にはまってしまう人も確かにいます。

ナチスが作った収容所のような罠です。

そして、そうした最悪の罠にはまった人たちの中でも、生還する人もいれば、絶望して自ら死を選ぶ人もいます。

ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」は、自らの収容所体験をもとに、「生還」のためには何が必要だったかを書いたものです。こうした書物にも何らかのヒントがあるかもしれません。

  *  *  *

多くの場合、罠にかかって逃げ出せないというのは、物理的な罠ではなく、心理的な罠です。

あなたは、周囲の人間関係の中で、複雑な網の目に囚われ、身動きが取れなくなっているのでしょう。

そして、その罠から自由になるためには、死を選ぶしかないと思うところまで来てしまったのでしょう。

けれども、もし、あなたが本当は、そのがんじがらめの状況から逃げ出すことができるのだと気がつくことさえできれば、わざわざ死を選ぶ必要はなくなります。

あなたが家族の虐待を受けているのなら、家族から逃げ出せばいいのです。
逃げ出せないと思い込んでいる、あなたの考えこそが、あなたの牢獄なのです。

小さな子どもだったころには、逃げ出したくても逃げ出せなかったでしょうが、今のあなたには、逃げ出すことができるはずです。

自分の思い込みを打ち破ってください。

あなたには、その力があるはずです。

その先には、あなたの自由な人生が待っています。

  *  *  *

自由な人生というものは、決して気楽な人生ではありません。

人間関係でがんじがらめになっていたあなたは、思い切って行動を起こすことで、その重圧から一旦は逃げ出すことができるでしょう。

とはいえ、そこから十分に自由になるには、時間がかかります。

重圧をなつかしく思うようなことも起こりえます。

そして、完全な自由などというものは普通ありえませんし、自由と不自由の間で葛藤しながらも、その中に喜びを見つけていくことこそが、人生というものなのです。

あなたが選ぶ人生が、苦しみをともないながらも、さち多いものとなることを祈ります。

与えられた命の中で、あなたが、最高の輝きを見出すことができますように。

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[自ら死を選ぶ前に – あなたを愛してくれた人がいるはずです]




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四楽八楽

百と八つの悩みの種を、抱えて生きてはいませんか。
何かと気に病むことこそ多く、あれこれ悩んでいませんか。

どうせ一度の人生ならば、気楽に生きたいものじゃないですか。
重荷を背負っていくのはやめて、身軽に生きたいものじゃないですか。

そこでぼくは思ったのです。
人生本当に四苦八苦なのかと。

そいつもひとつの見識ですが、ひっくり返せば四楽八楽。

考えてしまうという悪いクセをやめられれば、今までの苦しみなどガラガラと音を立てて崩れ落ちて、見たこともない楽園が目の前に広がっているってことに、気がつくはずなんですよ、この世界の原理からして。

いや、それは実は言い過ぎでして、そうなるのは心がきちんと落ち着いている場合の話でして、心が乱れていたならば、楽園にいるのに気づくのではなく、地獄のど真ん中にいるということになってしまうのが、このうますぎる話の落とし穴でして。

だからぼくらは、道を急ぎ過ぎず、ゆっくりとしっかりと、そしてぼくの場合はだらだらと、遠くを目指して歩いてゆくのです。

気が遠くなるほど遠い道のりなのですが、辿り着く必要なんてないんです。
この道を一歩いっぽ歩き続ける、そのこと自体に意味があるんです。

道端の野の花を愛でながら、風の香りを嗅ぎながら、楽しく歩いていきたいじゃないですか。
悩みの種など数えて捨てて、ゆらゆら歩いてまいりましょう。

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緊張が溶けない

人生って、あんがい難しいですよね。

思い通りになんて、なかなかいかない。

「思い通りにいかないのは、環境のせいだ」なんて、つい考えちゃうけど、実はそれって自分の問題だったりして、そこに気づくのが、ホントに難しい。

おまけに、自分のどこが問題なのか、なんてことを、冷静に見るとなったら、さらにまたまた難しいし、ホントーにいやんなっちゃうくらいですよ、生きてること自体が。

でもまぁ、仕方がないです。

それが人生ってものです。

この難しい人生の中で、溶けない緊張と向かい合うのが、どうやらぼくの運命ということみたいです。

がんばります。

がんがんは、がんばれないので、だらだらと、適当に。

だらだらと、適当にでも、時間をかければ結果は出るって知ってますから。

誰に何を言われようと、だらだらと適当に、続けさせてもらいます、悟りへと向かう、このけったいな道行きを。

そうして溶くことにするんです、この容易には溶けない緊張ってやつを。

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