しょせんすべては夢なのですが

人生と言えど、しょせんすべては夢なのですが、夢にも執着するのがヒトという生き物です。

夢で味わう苦しみなど、覚めてしまえばただの幻ですが、見ている最中にはその苦痛のなんとリアルなことか。

逆に夢にまで見たあこがれの状況も、慣れてしまえばただの日常、過ぎてしまえば泡沫(うたかた)の日々にすぎません。

人生の一瞬一瞬が夢まぼろしであると、はっきりと見ることができるでしょうか。

そのようにはっきりと見た上で、一瞬一瞬を大切に生きることができるでしょうか。

とりあえず、毎日楽しければいいじゃないかって?

それは確かにそうですよね。

きちんと楽しく生きられるならば、それはそれで申し分ありません。

でも、生きることのしんどさが、楽しさを上回ってしまったときには、少し立ち止まって考えるのもいいでしょう。

この人生のはかなさと、はかないがゆえの重みについて。
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夢も現実(うつつ)も乗り越えて

夜見る夢は、昼間の現実よりおぼろなものだと思ってますか。

明晰夢というものがありまして、夢のなかで、それが夢であると気づいているってことなんですけどね。

夢での体験は、人それぞれとは思いますけれど、ぼくの場合、普通の夢は割と薄っぺらい。
肉体的な実感とかほとんどないんです。

ところが明晰夢のときは違います。

空を飛んだり、壁を突き抜けたり、昼間の現実とは違いますが、体感的なリアリティは強烈です。

たまにしか見れないし、見ているときも、長続きさせるのは難しいのですが、そのとき感じる現実感は、ほかの何とも違うものを感じます。

みなさんも、昼間の現実とは違うリアリティ、よろしければ味わってみてください。
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天国と地獄を生きる

天国へ行ったことはありますか。

それとも地獄はどうですか。

生き地獄はまっぴらご免ですけれど、天にも登る気持ちにはなりたいものですよね。

死んだら天国に行くとか、地獄行きだとか、死んでしまえば何もないんだとか、どういうふうに考えるのも個人の自由なのは当然です。

それで、ぼくは思うのですが、今ぼくたちが生きているこの世界というものが、実は天国でもあり、地獄でもあるんじゃないでしょうかね。

この世界というものを、ただ物質的な空間としてとらえるとき、そこには天国も地獄もありはしないのですが、そこに魂の次元というものを加えてみたとき、ぼくたちの心のあり方次第で、そこに天国や地獄が現れるんじゃないでしょうか。

ぼくたちが生きる一瞬一瞬を、天国にするのも、地獄にするのも、ぼくたちの心次第。

そう考えたら、毎日をうかうかと過ごしてばかりもいられなくなるかもしれませんよね。

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