自ら死を選ぶ前に – あなたを愛してくれた人がいるはずです

あなたが自ら死を選ぶことを考えているのならば、それを実行に移す前に、一つだけ考えてほしいことがあります。

それは、あなたを愛してくれた人のことです。

あなたは今、

「苦しくてしかたがない、もう死んでしまいたい」

と思っているのでしょう。

けれども、あなたが今まで生きてきからには、あなたには誰かに愛された経験があるはずです。

あなたは、家族からもひどい仕打ちを受ける中で、なんとか今まで生き延びてきたのかもしれません。

あるいは一見あなたを思っているように見える母親のエゴにがんじがらめにされた人生だったのかもしれません。

そうだったとしても、いえ、そうだったとすればなおさら、あなたの命を、どこかで誰かが、支えてくれていたに違いありません。

  *  *  *

それは近所のおばさん、おじさんだったかもしれません。

いつもは会えない、おばあちゃんや、おじいちゃんだったかもしれません。

ひょっとすると人間ではなく、飼っていた猫や犬や小鳥、あるいは学校で買われていたウサギだったかもしれません。

  *  *  *

あなたにほんの少しの気遣いをしてくれた人、

あなたを守ってくれた人、

あなたと一緒にいて、あなたの心に安らぎをもたらしてくれた存在、

あなたに愛を分けてくれたそうした人や存在があったからこそ、あなたは今まで生きてこれたのです。

あなたを愛してくれたひとたちのことを、よく思い出してください。

あなたが何ができるか、とか、どんな人間か、ということとは関係なく、ただありのままのあなたを愛してもらったときの、自分の中に生まれた温かい気持ちを、いま思い出すことができますか?

ひょっとしたら、今はしんどすぎて、その気持ちを思い出すことはできないかもしれません。

けれども、心配する必要はありません。

今は、自分にも愛を分けてくれる存在があったことを思い出し、

「ただ生きているだけでいいんだ」

ということを、心の隅にとどめることができれば大丈夫です。

本当に死にたくなったときには、いつでも死を選ぶ権利があなたにはあります。

けれども、今は一旦その考えは横において、自分を愛してくれた人たちのことを考えてみてください。

自分の中の「生きたい」という思いに耳を傾けてください。

今のしんどさを乗り越えることができれば、自分の中の「暖かい気持ち」を感じ取れる日がきっとやってきます。

あなたに与えられた命が、幸せにまっとうできるように、心からお祈りします。

  *  *  *

一人で悩んで苦しいときは、人に相談することも役に立ちます。
勇気を出して電話をかけてみてください。
話すだけで、ずいぶん楽になるものです。

[いのちの電話]

☆こちらの記事も合わせてお読みください。

[自ら死を選ぶ自由について]





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蝶々よく分かる仏教

今日は、仏教の基本中の基本を、現代的な論理に沿って述べてみます。

人間の行動の原理は、快・不快の原則ですよね。

心地よいものを求め、不快なものは避けます。
(おもしろいことに、フロイトさんと一緒ですね)

この二つに分けて見るとき、世界には「心地よいもの」と「不快なもの」があることになります。

お釈迦さまことシッダルタさんが説いたのは、
「心地よいものが得られないのは苦しいし、不快なものと出会うのも苦しい」
ということです。

そして、そうした苦しみから解放されるには
「欲望の罠から逃れることが必要だ」
(感官を制することが必要)
と述べたのです。

そして欲望の罠から逃れるためには、
「先入観を捨て、できる限り、あるがままに、自分と世界を見つめることが大切である」
(ヴィパッサナ瞑想の根本)
と。

そうして、あるがままに現実を見られるようになれば、
「快・不快のどちらをも、感情に左右されずに、落ち着いて受け入れることができるようになり、欲望の罠から抜け出て、心安らかに日々を送ることができるようになる」
(涅槃の境地)
というわけです。

今日のところは、このくらいにしておきます。

ではみなさん、また。

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[仏教漫談] 怒り心頭のあなたへ

アルボムッレ・スマナサーラさんというスリランカのお坊さんがいらっしゃいます。

日本ではたくさんの本が出版されており、NHK教育テレビにも出演されていますので、ご存知の方も多いかもしれません。

前の記事 [仏教の目的・涅槃] では、悟りの境地に至るには、三毒と呼ばれる、欲望・怒り・無知を克服する必要があると書きましたが、スマナサーラさんは、この3つの中でも、怒りを克服するのが一番大切であると、おっしゃっています。

「怒らない練習」という本もあり、これには怒らないためにはどうしたらよいのかの具体的な実践法が書かれています。
(イラストがしりあがり寿さんというのも、なんだかいいですね♪)

たしかに「怒り」というのはやっかいなもので、誰もが日常生活の中で、あれやこれやに、いらいらし、むっとし、外には表さなくても、怒り心頭に達したりしていることだろうと思います。

「いつもにこにこと穏和で、決して怒らない」などという人は、それこそ、「お釈迦さまのような人」ということになります。

ところでぼくは先日、ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想の十日間のコースに参加しました。
(ゴエンカさん方式についてはこちらをご覧ください。
[ヴィパッサナー随想 01 ピサヌロークの午後] )

ヴィパッサナーというのは、初期仏教における瞑想の方法で、日本の人なら坐禅だと思えば、当たらずと言えど遠からず、といったところです。

日本の坐禅では、雑念を消して無心になってただ座りなさい、というようなことを言うようですが、ゴエンカさん方式のヴィパッサナーでは、無心になって呼吸を見つめ、体で感じていることを見つめます。

呼吸を見つめ、体の様子を見つめるといっても、気がついたら何かほかのことを考えている、というのが人間というものですので、それは仕方ありません。

ああ、それちゃったなと、落ち着いて受け止めて、それに気がついたら、またまた呼吸や体に注意を向けて、淡々と見続けるといった感じです。

この単純な練習をひたすらやるだけなのですが、この経験が深まっていくと、自分が怒っていることに気がつきやすくなり、やがては怒らないですむようになる、というわけなのです。

また、呼吸や体を見るときに、すべてのものは変化しており、やってきては去っていくこと(無常)、心地良い感覚も不愉快な感覚も好き嫌いしないで落ち着いて見ること(慈悲喜捨の「捨」)を心がけます。

仏教で言う「無知」とは「無常であることを知らないこと」であり、「欲望」は「心地良いものを求め、不愉快なものを遠ざけたいと思うこと」を意味しますので、このヴィパッサナー瞑想をきちんとすれば、悟りに至るのは難しくても、日々のストレスが減り、気持よく毎日を過ごすことができるようになる、というわけなのです。

とはいえ、10日間泊まりこみで(実際には前後一日ずつあるので11泊12日)朝の4時半から夜の9時まで10時間も座るというのは、なかなか覚悟のいることですし、向き不向きもあります。

とりあえず、朝起きたときと、夜寝る前に、五分ほど呼吸を見つめてみるというのは、いかがでしょうか。

楽な姿勢を取り、自然に呼吸をして、息を吸っているときは、息を吸っている自分を見つめ、その感覚を味わい、息を吐くときも、息を吐いている自分を見つめ、その感覚を味わいます。

これだけのことでも、1週間、10日、1ヶ月と続けるうちに、ふとしたはずみに、怒っている最中にはっと我に返る、といった経験がおこってくるはずです。

毎日でなくても、思い出したときにやるだけでもかまいません。
自分なりのペースで、じっくり続けたとき、昔ほどいらいらしないで済んでいる自分に、ある日あなたは気がつくはずです。

なお、ゴエンカさん方式のヴィパッサナー瞑想について関心のある方は、アマゾンでこちらの本をどうぞ。

[ウィリアム・ハート「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法」(春秋社1999)]

というわけで、今回はこの辺で。
ではまた。

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[仏教漫談] 仏教の目的・涅槃

昔「おやじ、涅槃で待つ」という遺書を残して亡くなった俳優さんがいました。

この場合の「涅槃(ねはん)」は、「あの世」の意味ですね。

これはかなり俗っぽい使い方で、「涅槃」のもともとの意味は、「(煩悩の)炎の消えた状態」といったもので、「悟りの境地」のことです。

アメリカのロックバンドにニルヴァーナというのがありますが、このニルヴァーナというのが「涅槃」の意味なんですね。

アメリカの人はおもしろいバンド名を名乗るものです。

ボーカル、ギターのカート・コバーンはすでに鬼籍に入っていますが、このバンド名の因縁があったのか、なかったのか……。
(ちなみに、この因縁という言葉も、もともと仏教の言葉です)

そのニルヴァーナ(nirvana)という、インドの昔の言葉であるサンスクリットの単語に、中国の人が漢字を当てて「涅槃」としたわけです。

漢語としては、「滅、寂滅、寂静」などとも訳されます。
瀬戸内寂静さんの英語名は、ニルヴァーナ・セトウチとでもなりましょうか。

  *  *  *

「涅槃」とは、悟りの境地であり、煩悩(ぼんのう)の炎の消えた状態であると説明しましたが、悟りに至るのが仏教の目的であり、「涅槃」こそが仏教の目的ということができます。

では、煩悩の炎が消えるとはどういうことでしょうか。

仏教では、生きることはすべて「苦」である、とします。

この「苦」というのは、「苦しみ」というよりは「ストレス」ぐらいの意味ととらえたらよいと思います。

そして、その「ストレス」を生み出す原因が「煩悩=迷いの心」です。

「煩悩」としては、「三毒」と呼ばれる「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」があり、それぞれ、「欲望」、「怒り」、「無知」を意味します。

この3つの「ストレスの原因」を克服することで、涅槃に至り、悟りを開くが可能になり、これが仏教の目的ということになります。

以上、簡単ですが、仏教の目的である「涅槃」について説明してみました。

それでは、みなさん、また。

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[「消耗」についてならドン・ファンも散々に言ってるわけですがね]




「消耗」についてならドン・ファンも散々に言ってるわけですがね

アメリカの文化人類畑出身のカルロス・カスタネダというカルトの大家が死んで、もう二十年近くが経とうとしています。

彼が描いたメキシコの呪術師ドン・ファンの世界は、学者の先生がたにはフィクションという烙印を押されていますが、その人気は今も衰えることがないようです。

シリーズ一作目の 「ドン・ファンの教え」は、言及されることは多いものの、修士論文用に書かれたものが、商業出版に回されたといういわくつきの代物で、はじめてカスタネダを読む方にはおすすめできません。

アメリカでは三冊目の「イクストランへの旅」が一番好まれているようですが、一冊の物語としての完成度という点では、四冊目の「力の話」が絶対のおすすめです。

このシリーズは、ぼくたちがいつも当たり前だと思って疑いもしない、この日常という名の世界が持つ、実は曖昧で不安定で、裏側を見てしまったら、もう戻ってくるのがばかばかしくなってしまうかもしれない、そんな不可思議な様相をかいま見させてくれます。

そして、日常というものとは別の種類の現実のあり方が、確かに存在するのだということに目を開かせてくれる類まれな本です。

これが、事実をありのままに書いたものかどうかは分かりません。

ですが、ぼくの知る限りでは、これに匹敵するようなフィクションなど、そうそうあるものではありません。

ですから、カスタネダという「いかさま師」が、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」とも比べたくなるような物語を書いていたのだとすれば、読書好きなぼくとしては、これに勝る喜びはない、といったところなのです。

  *  *  *

さて、ネット上であれこれ検索していると、なぜだが「消耗」とかいう言葉が目について、そのことについつい「うんざり」してしまったりする今日このごろなのですが、「消耗」のことを言うのなら、カスタネダ描くところのドン・ファンが、とっくに語り尽くしてくれてるよな、と思い至った次第です。

ぼくたち一人ひとりの人間に与えられているエネルギーというものは、残念ながら限られたものです。

それなのに、ぼくたちはそんな事情にはお構いなしに、自分のエゴを喜ばせるだけのために、その限られたエネルギーのほとんどすべてを浪費しているというのが、ドン・ファンの言っていることです。

ですから、もしあなたが、今の「何かが間違っている」生活を変えたいと本当に思っているのならば、そんなふうにエネルギーを無駄遣いしている場合ではないのです。

「消耗」している自分に気づいたら、とにかくその「消耗」をやめてみるのが先決です。

他人の「消耗」を、ああだ、こうだ、言ってる場合ではないのです。

とはいえ、これを書いているぼく自身、ある意味では人のことを、ああだ、こうだ言ってるのにすぎません。

けれども、自分がその段階を超えられるように、自分への覚え書きとして、今ぼくはこれを書いてみています。

人に与えられた命は、誰にも平等でたったの一回限りです。

長い短いの運命はあるかもしれませんが、それを生かすも殺すも、まさにあなたの決断次第なのです。

あなたが、与えられた人生を、そしてその命のエネルギーを、どうか十分に活かすことができるように、お祈りします。

ぼくも、がんばって生きようと思います。

あいもかわらず、だらだらと、のらりくらりとではあるのですけども(笑)。

  *  *  *

さて最後に、こちらの本を紹介します。

[ タデウス・ゴラス『なまけ者のさとり方』]

ぼくがこのところ、こちらに書いていることの、ネタ本的なものです。
もう四半世紀も前に出会った本ですが、今読み返すと、若い頃には分からなかった部分が心にしみてきて、ひと粒で何度でもおいしい名著です。

気が向いたらぜひ読んでみてください。

てなことで、みなさん、またそのうちお会いしましょう。

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[「いい人ごっこ」は、もうやめよう]

[人生を気楽に生きるためには、これだけ分かってれば十分]

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「いい人ごっこ」は、もうやめよう

やあ、みなさん、こんにちわ。

毎日の「いい人ごっこ」、楽しくやってますか?

いや、みなさんが「本当にいい人」ならば、べつに問題はないんですよ。

問題なのは、ぼくみたいな、ほんとは「いい人」でもなんでもないのに、ついつい習い性で「いい人」をやっちゃってる人なんですからね。

あなたは、習い性で、自分でも気がつかないうちに「いい人ごっこ」にはまっちゃってたりしませんか。
もしそうなら、ぼくもあなたのお仲間です。

「いい人ごっこ」という大変なゲームに、自分でも知らないうちに、ずいぶんたくさんのエネルギーを使い込んできちゃってたんだなって、ようやく気がつきました。

しかもですよ。

自分がやりたくないことを、「いい人」ぶってやってるってのは分かりやすいじゃないですか。

よくある話です。

ところが、そういう場合だけじゃなくて、自分がやりたいつもりでやってるはずのことが、実はただ「いい人」ぶりたいだけの理由からやってるんだってことに気づいちゃったんですから、いや、参りましたね、こいつは。

  *  *  *

ちょっと具体的に書きましょう。

ぼくはネットで人が困ってるのを見かけたりすると、つい、助けてあげたいな、とか思っちゃうんですよね。
(母親譲りの、ただのおせっかいだったりするんですけど)

さて。

困っている人がいて、それを助けたいと思う。

これ自体は何も悪いことじゃないですよね。

ところがです。

「自分がいい人だと思われたい」ためだけに、「人を助けたい」と思っちゃうような人ってのが、世の中にはいるわけです。

そういう人の場合、自分のすることが、本当に相手の「助け」になってるかどうかという一番大切なことが、ついついどこかに行っちゃってたりするわけでして。

そうすると、うまく相手の助けになった場合はいいんですけど、相手があんまり助けになってないな、と思った場合におかしなことが起こります。

「自分は助けてあげたのに、なんでお礼の言葉もないのか」とか、「自分は善意で助言したのに、分からないのは相手が悪い」とか、極端な場合は、「善意で助言している自分に、怒りで返してくるとはこいつはおかしい」とか、ネット上では、ほんとにいろんなことが起こるものです。

自分が「いい人」になりたいから「人助けをしたい」なんて、そんなおかしな話があるもんか、と思うかもしれませんけど、ボランティアとかチャリティとか、あるいは平和運動に差別反対、そして助言・ご意見・上から目線など、実はありとあらゆる人間関係の場面において、似たような「不純な動機」があふれているような気がするんです。

すべての人がそうだ、なんて、言いませんよ。

本当にいい人だって、確かにいます。

でも、多くの普通の人間として、ぼくたちは、自分の中の「不純な動機」にもちゃんと気づいたほうがいいんじゃないかなって思うんです。

だって、「不純な動機」で「いい人ごっこ」なんかしていても、おかしなところでエネルギーを浪費するばかりで、トータルで考えたら絶対いいことありませんから。

  *  *  *

「いい人」に見られたいから、ついつい人からの頼みを断れない。そんなことで消耗するのもばかばかしいですから、きちんと自分の気持ちを伝えてみましょう。

そして、おせっかいな自分の、ヘンテコな癖に気がついて、自分勝手な「いい人ごっこ」はやめましょう。

今日はそんな話でした。

最後までご精読ありがとうございました。

  *  *  *

それからついでに、こちらの本なんですけど。

[ タデウス・ゴラス『なまけ者のさとり方』]

内容的にはちょっとスピリチュアル系で、ぶっとんだところもあるんですが、「いい人」をやめてもいい理由も分かるし、「いい人」をやめるためのヒントも一杯詰まった本なので、おすすめします。

てなことで、みなさん、またそのうちお会いしましょう。

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人生を気楽に生きるためには、これだけ分かってれば十分

ネット上に、ガンジス川の砂粒の数ほども煌めく、もったいぶった記事の書きようには、多くの方が心底うんざりとしてらっしゃるでしょうから、初めに結論を書いておきましょう。

あなたが人生を気楽に生きたいと、本当に思っているのでしたら、次のことだけ、よく憶えておいてください。

あなたは、完全に自由なんです。
あなたは、なんでも思った通りのことができます。
ただし、この世界の法則が許す限りの話ですが。

どこかにも似たようなことが書いてあったよと、思うかもしれません。
それも当たり前のことなんです。

人によって表現は違っても、この世の「真理」はただ一つですから、それに気づいた人は似たようなことを言うわけです。

かといって別に、自分が究極の「真理」を知っているんだとか言いたいわけではありません。

ここでは、今の時点でぼくに分かっている範囲のことを、自分なりの言葉で伝えてみようと思うまでです。

あなたは自分が「完全に自由」だと聞いて、どう思いましたか?

そんなことありえない?
それとも、「ほんとにそうかな」って?

あなたが信じようが信じまいが、あなたは「本当に完全に自由」なんです。

このことだけ憶えていれば、あなたは、いつかそれが「真実」であることに気づくことになるはずです。

そして、それが分かったとき、人生が実に気楽で楽しいものになっていることにあなたは気づくでしょう。

悲しみや苦しみがなくなるというわけにはいかないでしょうが、人生のそうした暗い側面にも意味があることが分かり、いたずらに嘆く必要がないことにも気がつくでしょう。

そんなふうになりたかったら、とにかく、このことだけ憶えておいてください。

あなたは完全に自由なんです。
思い通りに何でもできるんです。
ただし、この世界の法則に従っている限りは、ですよ。

今回はとりあえず、この辺にしておきましょう。
どうして、これだけ憶えておけば十分なのかは、また書きます。

なんだ、続きがあるのか、と思ったあなたには、ごめんなさい。

とはいえ、人生って、まあ、そんなもんですよね。

そして、続きなんて待ってられないよ、という方には、こちらの本をおすすめしておきます。

[ タデウス・ゴラス『なまけ者のさとり方』]

アメリカの人が書いた本なので、〈愛〉とか〈神〉とかいう言葉が「ちょっと気になる人もいるかも」なのですが、人生を気楽に生きるためのヒントが詰まった、手軽に読める実用的な本です。

てなことで、みなさん、またそのうちお会いしましょう。

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坐禅とか瞑想とか、かたくるしく考えないで気楽にやってみましょう

ちょっと疲れたときに、伸びをしたり、深呼吸したりすると楽になりますよね。

坐禅とか瞑想とか、呼吸法もそうなんだけど、基本はそれと同じことなんです。

ぼくたちは、犬や猫よりも大きな脳を持ってしまったもので、少しの伸びくらいでは足りないような、いろいろなストレスを抱え込んでしまいがちってことでして。

だから、意識的に頭の中を空っぽにしてやると、これは本当に気持ちにも体にもいいことなんですよ。

朝起きたときとか、夜寝る前とか、一日に五分でもいいので、ぜひ試してみてください。

ただ、自分の呼吸を見つめるだけのことです。
息を吸って、息を吐いて、それを自覚的にするだけのことなんです。

すぐには分からないかもしれませんが、これを、一週間、ひと月、三ヶ月と続けていくうちに、必ず違いが出てきます。

アメリカでグーグルがマインドフルネスといってやってるのも、基本的にこれと一緒の話です。

単純な作業なので、こんなのが何かの役に立つの?って思うかもしれませんが、ほんとに役に立つんです。

こんなちっぽけなことで、人生、変わってしまうものなんです。

百聞は一見に如かず、行動をともなわない知識はゼロに等しいんです。

だまされたと思って、ぜひ今日からやってみてください。

一日五分の呼吸法で、あなたの人生は確実に変わりますので♬

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☆こちらもどうぞ。

[瞑想のお話: 不真面目でいい加減なぼくの迷想術 — ヴィパッサナー随想 #4]

[瞑想のお話: ピサヌロークの午後 — ヴィパッサナー随想 #1]





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さあじぶんをだきしめよう

じぶんがどんなにくずとおもえても
なにもやるきがおきなくても
じんせいのいみなどわすれてひさしくても
ときにはじんせいのいみをおもいだせるにしても
ただなげやりにいまをいきているにしても
なにかいみあることをしているつもりでいるにしても
たにんをうらやみじぶんをひげするだけだとしても
もうしのうとついにおもいきってしまったとしても
ついにおもいきったはずなのにまだいきているにしても
ばかやろうきさまらがいきているのにおれがしねるかとおもうにしても
そしてそうしたすべてがまぼろしであるとあたまではわかっているにしても

ぼくはこうしてことばをひりだして
こころのけんこうをたもつというわけでしてね

たべたからにはくそをひるでしょうだれだって
いやむろんかすみだけたべることにすればそんなひつようもなくなりますけどね

なかなかむずかしいですよねじんせいというやつは
むずかしいからこそおもしろいですよねじんせいというやつは

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幸せ魔神を呼び醒ませ

しんどい毎日を送っていますか。
投げやりに日々を過ごしていませんか。
自分にうんざりしちゃってますか。
こんな世のなか消えてなくなれと思っていませんか。

ネガティブな思考の渦が、あなたの頭の中を支配していたとしても、別に気にしなくっていいんです。
それを振り払おうとしたって、ぱっぱと振り払えるものじゃあないんです。
こんこんと湧いてくる、思考の渦の秘密をあなたが知るまでは、それにとらわれてしまうという悪い癖を捨てて、少しずつ頭の中身の掃除をしていけばいいだけのことなんです。

あなたの心の奥底には、誰にも傷つけることのできない、純粋無垢な魂が今も輝いています。
その魂は、暖かくて柔らかいけれど、とても傷つきやすいので、あなたはそれを自分でも忘れてしまうくらい心の奥深くの、絶対に誰にも触ることのできない場所にしまい込んでしまったのです。

魂は、とても傷つきやすいのですが、同時に恐ろしいまでの力を持っているのです。
そいつの本性は魔神だったりするのです。
世界を滅ぼしかねない力を持っているのです。

けれど、世界を滅ぼすのはいけないことでしょうか。
暴力的に滅ぼすのではないのです。
新しいものを生み出すためには、古いものが死ぬ必要があるのです。
幼かったあなたを守るために必要だった、エゴという名の強大な化け物が、いつか滅することになったとき、あなたの輝く魂は初めて、思う存分この世界を飛び回ることになるのです。

そのとき、あなたは、この自由が幸せだったのかと、気づくことになるでしょう。

何もしなくていい自由、何をしてもいい自由、あるがままで世界と一致している自由。

くつろいで、あくびをしながら、その自由を噛み締めるとき、あなたは世界を滅ぼす魔神でとして、世界を生み出し続けるのです。

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